
芥川龍之介全集 一
あらすじ
日本の文学史でも、指折りの短編小説の名手である芥川龍之介。多くの傑作を残し、その作品は平易な文体ながらも、その秀逸な言葉選びや、深くまで切り込んだ心理描写の生々しさも相俟って、読み手を瞬く間に作品世界に引き込みます。 「羅生門」 ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨が止むのを待っていた。彼は四五日前に主人に暇を出されていた。雨が止んだところで、彼に行き先は無かったのである。羅生門の楼の内には、噂に聞いた通り、幾つかの死骸が無造作に棄てられていたが、その中に蹲っている人間を見た。檜皮色の着物を着た、背の低い、痩やせた、白髪頭の、猿のような老婆であった。その老婆は、女性の死骸の首に両手をかけると、丁度、猿の親が猿の子の虱をとるように、その長い髪の毛を一本ずつ抜きはじめた。その様を見た下人は、悪を憎む心に駆られ、太刀に手をかけながら、大股に老婆の前へ歩みよった。老婆は、一目下人を見ると、まるで弩にでも弾かれたように、飛び上った。下人は、老婆が死骸につまずきながら、慌てふためいて逃げようとする行手を塞いで、こう罵った。 「おのれ、どこへ行く」…… 「魔術」 私が友人を介して交際していたインド人のマティラム・ミスラは魔術の大家でもあったが、実際に彼が魔術を使ったところを見たことの無かった私は、約束を取り付けて、彼が魔術を使うところを見せてもらうことになった。実際に見せてもらった魔術は、実に摩訶不思議なもので、テーブルかけの花模様から本物の花を取り出したり、ランプを独楽のように回転させたり、書棚の書物を鳥のように飛ばせて、テーブルの上に積み重ねたりと、私は夢を見たような心地になっていた。このような魔術は誰にでも使うことが出来るという彼の言葉を思い出した私は、私のような者にも魔術が使えるのかと尋ねたところ、彼はこう答えた。「使えますとも。誰にでも造作なく使えます。ただ――」と言いかけて彼はじっと私の顔を眺めながら、いつになく真面目な口調になってこう言ったのだ。 「ただ、欲のある人間には使えません。魔術を習おうと思ったら、まず欲を捨てることです。あなたにはそれが出来ますか。」…… ●収録作品 秋 お時儀 お律と子等と 蜜柑 死後 羅生門 尼提 或日の大石内蔵助 きりしとほろ上人伝 仙人 孤独地獄 おしの 湖南の扇 竜 蜘蛛の糸 猿 ひょっとこ 古千屋 女 戯作三昧